月刊hanakin/2019年4月

平成最後の日々なのですが、
わたくし議長、実は平成=年齢でございます。
つまり平成くんは、幼馴染であります。
一緒に生まれ育った仲であると言えます。
ですので幼馴染の死が近づいている今日この頃、と取ることも出来ます。

もうすぐ終わる、と言われている時間をどうやって過ごせば良いのか、
どうやって時代を惜しめば良いのか、わからないまんまで過ごしています。
でも、周りはもう「まっさらに」なれるんだと、リセットをかけるために、こんな時代なんて早く終われば良いとさえ思っているようです。

ずっと一緒だったものがなくなること、
当たり前のことなのに、当たり前であって欲しくないのです。
しかもそれを、実感させられ続けた時代が終わるんだって、
いくら言われても、実感できません。
そんな、凄まじいパラドックスの中で時間を過ごしています。

と、言う未練がましいことを、次に元号変わるときにも思っているか、
確かめてみよう!って思う以外に、時間の過ごし方がわかりません。
今のことを考えないために、次のことを考える。
次のことを考えないために、次の次のことを考える。

次の集会は、ポーラーです。次の次は果たして……?

これを以って平成くんへの弔辞と代えさせていただきます。
あばよ!

月刊hanakin/2019年3月

平成最後の番外集会「トリツクシマ」は無事に終演しました。
ご来場誠にありがとうございました。

男2人の「トリツクシマ」は女2人の「とりつくしま」と同じモチーフを使って全然違う話にしようと思いました。

同じモチーフは「無人島」と言う言葉。
どうして「ロビンソン・クルーソーは無人島にいた」なんて言い方をするんでしょう?
人がいたら無人島じゃなくて有人島じゃないですか。
他人は自分を映す鏡だと言うから、
鏡がなければ自分の存在すら確認することが危ういのかもしれません。
ですが、無人島生活代表者のような顔をしているロビンソン・クルーソーにも、従僕フライデーがいます。
たった一人の私以外誰もいない島で頑張っていたわけではないのです。
でもね、本当に一人ぼっちだったらとても耐えられないだろうし、寂しくなくってもいいよねと思いきや、複数人いたために殺し合いになった話もあります。
何も絶海の孤島で殺し合いしなくたっていいのにと思うけれど、こういう島はミステリー作家に目ざとく見つけられ、そして誰もいなくなった挙句、
やがて無人島に戻るのです。

あまりにパラドックスめいているコトバで頭がいっぱいのまま、
「もし無人島に二人で流れ着いたらどうするの?」と役者に聞いてみたのは、まだ桜が蕾さえつけないころでした。
ある一人は言いました。
「2人いたとしてもプライベートスペースは必要だよね」と。
なるほど恋人と暮らしていても、自分の部屋が欲しい人はいるものね。
もう一人はこう言いました。
「海と山で担当を決めて、日々の食料を調達する」
役割分担は効率的だし、助け合いは生活を豊かにしますよね。
こんな単純なことも伝わらない伴侶が世の中に多いのは嘆かわしいですね。

ふと「もし、その相手が敵国の人間や親の仇、とても憎んでいる相手だとわかったら?」と聞くと、役者たちは声を揃えて言いました。

『絶対に協力しない』
たとえ無人島での生活に困ろうと、孤独に苛まれようと。

これを聞いた時、すんなり納得して、とても淋しくなりました。
ああ私は、無人島に住んでるのと一緒じゃないか。
無人島こそが、普段の私の生活を映す鏡だったんだ、と。
そこには普段の暮らしている生活とまるで代わりはない秩序が生まれ、憎み合う人は憎み合うままなんだと。

残念ながら、そんな宿題をいっぱい抱えたまま、この時代は終わるけれど、
自分の中にあるボーダーラインを少しでも減らすような芝居にしてみよう、と思った集会。誰かの心の国境に踏み入ることは出来たのでしょうか?

平成最後の集会の次は、新時代最初の集会「ポーラー」の再演です。
久々に下北沢楽園の邪魔な柱を愛したいなと思います。

月刊hanakin/2019年2月

プレミアムフライデーが今日で2周年と言うことで、週刊金曜日もFRIDAYも既に存在している世界で綴る月刊hanakinを始めてみます。
みなさん、この2年間プレミアムな月末の金曜の夜、過ごせましたか?
私はそうでもない気がします。
私にとってプレミアムなのはやっぱり、13日の金曜日です。
私は誕生日がジェイソンと完全に一緒なので、子供の頃はたまに金曜日にぶつかると、彼が訪ねてくる気がして本当に怖かったものです。
外国には13日の金曜日恐怖症になる人もいるらしいけど、そういう人にとって私はジェイソンそのものみたいな存在だろうな、と思ったりします。

何しろ子供の頃から13に縁がありました。
小学校の頃は6年間、出席番号が13番だったし、
その頃住んでいた家の番地も13だったりしました。
いつかは自分でお芝居をしてみよう、と思ってはいたものの、やっと集会を始めた年は意識してなかったのに2013年で「ここまでこの数字に支配されるのか」と思ったものです。

13という素数は、一番生活に密着している数字とも言える12を1つ超越したところにある数字だから、人を割り切れない不安に陥れるようです。
ちなみに13を鏡に映すと31で、これも素数。
なるほど平成ってのはどう足掻いても割り切れない時代で終わるんだな。
私は三島由紀夫と一緒で、この割り切れない時代と一緒に歳をとって来たけれども、もしかして鏡に映った世界ではこの今がずっと続いていくんじゃないかしら?ということを少し本気で信じていたりします。

そんな訳で平成最後の番外集会「トリツクシマ」まであと2週間です。
多分割り切れない話になるので、是非来てくださいね。