月刊hanakin/2019年3月

平成最後の番外集会「トリツクシマ」は無事に終演しました。
ご来場誠にありがとうございました。

男2人の「トリツクシマ」は女2人の「とりつくしま」と同じモチーフを使って全然違う話にしようと思いました。

同じモチーフは「無人島」と言う言葉。
どうして「ロビンソン・クルーソーは無人島にいた」なんて言い方をするんでしょう?
人がいたら無人島じゃなくて有人島じゃないですか。
他人は自分を映す鏡だと言うから、
鏡がなければ自分の存在すら確認することが危ういのかもしれません。
ですが、無人島生活代表者のような顔をしているロビンソン・クルーソーにも、従僕フライデーがいます。
たった一人の私以外誰もいない島で頑張っていたわけではないのです。
でもね、本当に一人ぼっちだったらとても耐えられないだろうし、寂しくなくってもいいよねと思いきや、複数人いたために殺し合いになった話もあります。
何も絶海の孤島で殺し合いしなくたっていいのにと思うけれど、こういう島はミステリー作家に目ざとく見つけられ、そして誰もいなくなった挙句、
やがて無人島に戻るのです。

あまりにパラドックスめいているコトバで頭がいっぱいのまま、
「もし無人島に二人で流れ着いたらどうするの?」と役者に聞いてみたのは、まだ桜が蕾さえつけないころでした。
ある一人は言いました。
「2人いたとしてもプライベートスペースは必要だよね」と。
なるほど恋人と暮らしていても、自分の部屋が欲しい人はいるものね。
もう一人はこう言いました。
「海と山で担当を決めて、日々の食料を調達する」
役割分担は効率的だし、助け合いは生活を豊かにしますよね。
こんな単純なことも伝わらない伴侶が世の中に多いのは嘆かわしいですね。

ふと「もし、その相手が敵国の人間や親の仇、とても憎んでいる相手だとわかったら?」と聞くと、役者たちは声を揃えて言いました。

『絶対に協力しない』
たとえ無人島での生活に困ろうと、孤独に苛まれようと。

これを聞いた時、すんなり納得して、とても淋しくなりました。
ああ私は、無人島に住んでるのと一緒じゃないか。
無人島こそが、普段の私の生活を映す鏡だったんだ、と。
そこには普段の暮らしている生活とまるで代わりはない秩序が生まれ、憎み合う人は憎み合うままなんだと。

残念ながら、そんな宿題をいっぱい抱えたまま、この時代は終わるけれど、
自分の中にあるボーダーラインを少しでも減らすような芝居にしてみよう、と思った集会。誰かの心の国境に踏み入ることは出来たのでしょうか?

平成最後の集会の次は、新時代最初の集会「ポーラー」の再演です。
久々に下北沢楽園の邪魔な柱を愛したいなと思います。